失われた貌

失われた貌

櫻田智也 / 新潮社 / 2025-08-27

あらすじ

媛上市の谷底で、顔を激しく損壊され、両手首を切断された男の遺体が見つかる。身元につながる情報はほぼ消されていて、捜査は最初から行き止まりに近い。捜査を担当するのは、媛上署刑事課の係長・日野彦彦と、部下の入江文乃だ。

同じころ、生活安全課には「公園で不審な男に声をかけられた」という児童の話が入る。こちらは一見すると小さな案件だが、日野たちが追う死体遺棄事件と少しずつ接続していく。さらに隣接する駒根署との主導権争いまで絡み、捜査は一つの事件だけでは済まなくなる。

前半は顔のない死体の身元を追う話として進むが、後半に入ると十年前の失踪事件や殺人事件まで巻き込みながら、今の捜査へ折り返してくる。結末をぼかして言うなら、派手な飛び道具でひっくり返すより、散らしていた情報をきれいに束ねていくタイプのミステリー。2026年本屋大賞ノミネート作。

刑事ドラマとして読むぶんには十分楽しい

こういう刑事ものは、読んでいて面白いし楽しい。その前提はこの本にもある。日野と入江の組み合わせ、生活安全課との軋轢、管轄違いの署との張り合い。事件の中身だけではなく、警察組織の中で誰が何を握るかまで含めて回していくので、刑事ドラマとしての安定感がある。

顔を潰された遺体という始まり方も強い。そこから血液型、失踪届、児童への声かけ、不正告発の過去と、別々に見える材料が少しずつ寄ってくるので、読んでいるあいだは退屈しない。ひとつずつ調べて、ひとつずつつないでいく手順がしっかりしている。

ぜひ参考文献に注目して欲しいのだが、警察白書や警察庁のWebだけを参考にして、ここまで書けるのはすごい。会話や捜査の動きに変な引っかかりもなく、現場の空気を支える情報の積み方がかなり丁寧だった。

始まりから終わりまで、きれいに整理されていく

読み終えていちばん素直に残ったのは、話がきれいに整理されて終わる心地よさだった。前半で出した情報を後半で順番に拾い直していくので、読み終わったあとに散らかった感じが残らない。複数の事件が一本に収束していく形としては、とても収まりがいい。

特に、媛上署の捜査線と生活安全課の不審者案件が、別々に走っていたままでは終わらず、ちゃんと同じ場所へ戻ってくるところがこの本の収まりのよさだ。日野の過去や羽幌との因縁も、ただ人物の背景で終わらず、今の捜査の見え方に少しずつ効いてくる。

この本は、読みながら「いま何の話をしているのか」を見失いにくい。そこはかなり大きい。難しくして驚かせるより、整理しながら運ぶほうを優先しているように見えて、その分だけ読みやすかった。

もう少しだけ、想像の外へ出てほしかった

一方で、トリックや事件の全容については、想像の範囲を大きく越えるところまでは行かなかった。流れとしては納得できるし、雑に畳んだ感じもない。でも、これだけミステリーが多いと、もう一段のパンチがほしいと思ってしまう。

途中で出てくる材料の置き方も、うまくできているぶん、ある程度先の方向は読める。だから読みながら不満が出るわけではないが、読み終えた瞬間の驚きはそこまで強くなかった。刑事ドラマとして面白い、という感想を越えて、何か一本持ち帰るところまで行くかと言われると少し迷う。

ミステリーを読んでいて「面白い」の先に行く瞬間って、たぶんキャラの濃さだったり、トリックに驚かされたり、展開が予想の外を行ったりするところにある。『失われた貌』は設定もきちんとしているし、突飛でもない。でもそのどれかで一発殴られる瞬間がなかった。日野も入江もしっかり動くが、この二人でなければ成り立たない話かと言われると、そこも少し迷う。

それでも、そこを無理に過剰などんでん返しで上書きしないのは、この本の品のよさでもあると思う。崩さずに着地する。そのかわり、読者のほうが「もう少しほしい」と思う。今回はその気持ちが少し勝った。

すごく整っている。でも、あと一歩の驚きがほしい

『爆弾』感想と軽いあらすじ は、読んでいる途中で空気ごとひっくり返されるタイプだった。『失われた貌』はそうではない。事件をひとつずつ整理しながら追う面白さに寄っていて、その整理のきれいさがこの本の持ち味だ。

本屋大賞ノミネート作を続けて読んでいる中で手に取ったので、期待値は高かった。その期待に対しては、少し届かなかった。刑事ものを素直に楽しみたい日に読むと、相性がいい本だと思う。