
殺し屋の営業術
あらすじ
住宅防犯機器のトップ営業マンだった鳥井一樹は、営業先で殺人現場に出くわし、そのまま殺し屋の世界へ引きずり込まれる。命をつなぐために自分を売り込み、殺人請負会社〈極東コンサルティング〉の営業担当として働くことになる。
そこで鳥井に課されるのが、二週間で二億円を稼ぐという無茶なノルマだ。実行役の耳津と組み、裏社会の客を相手に商談を進めるうちに、地上げ屋、半グレ、競合の殺し屋会社まで絡んできて、話は一気にややこしくなる。
前半は「営業のテクニックでどう生き延びるか」が面白さの中心だが、後半に入ると頭脳戦の比重が上がる。2026年本屋大賞ノミネート作。
ビジネス書みたいに始まるのが新鮮だった
いちばん面白かったのは、最初の数十ページを読んでいると、本当にビジネス書みたいに見えてくることだ。メラビアンの法則だの、返報性だの、営業トークの作り方だのが普通に出てくる。殺し屋の話を読んでいるはずだが、途中までは「営業の本」として読めてしまう。
しかもそれがネタで終わらない。鳥井は口先だけではなく、本当に営業の手順で人を動かしていく。
殺しの依頼を取る話だが、やっていることはヒアリングであり、クロージングであり、契約率の話でもある。このねじれ方がとても魅力的で、面白かった。
"殺し屋の世界ではね。ですが、私がやるのは営業です" ——『殺し屋の営業術』68ページ 鳥井の台詞
難しいビジネス本を読むより、この小説を読んだほうが営業の空気は掴めるかもしれない、と普通に思った。ロールプレイを重ねるしかない、という身も蓋もない話まで含めて、仕事小説としても妙に読ませる。
展開が何度も切り替わるから手が止まらない
設定だけ変わっていて、中身は一本道、という話ではなかった。鳥井が殺し屋会社に入ったあとも、案件が増え、競合が出てきて、「営業勝負」の形が何度も変わる。新しい人物が入るたびに別のゲームが始まる感じで、そこは素直にワクワクした。
特にライバル会社のトップエージェントである鴫木美紅が出てきてから、話の温度が変わり、情報戦や読み合いの色を強めていく。しかも鳥井の側だけではなく、美紅の側へも視点が切り替わるので、同じ勝負を別の角度から見直すことになる。後半は別の種類の面白さがあった。
終盤のトリックは、正直に言うと少しイメージしづらいところもあった。そこだけは頭の中で絵になり切らなかった。ただ、その引っかかりがあってもページをめくる手は止まらない。本としての推進力がとても強い作品だ。
鳥井の空虚さが軸になっている
この本を読んでいて、いちばん引っかかっていたのは鳥井の空虚さだった。仕事はできる。数字も作れる。殺し屋会社に放り込まれても営業の手順でノルマをこなしていく。
でも、生きていて楽しいのかと問われると、急に足元が怪しくなる。鳥井という人間は、トップ営業として完成しているのに、中身がほとんど無い。
"……鳥井くんって、生きてて楽しいの?こんな、毎日仕事のことばっか考えて。" ——『殺し屋の営業術』20ページ 鳥井の元恋人の台詞
それを地味に補強しているのが、飼っていたヨウムだ。オウムは人の言葉を模倣できるはずだが、作中では一言も喋らない。名前だけ付けられて、鳥井の部屋で黙って座っている。その沈黙が、鳥井自身の中の空白とそのまま重なって見えた。
ついでに言えば、登場人物の名前も鳥井、カラス、百舌、鴫木、籠原と、明らかに鳥関係で揃えている。覚えやすくて助かったが、「鳥」の話は物語の中でもたびたび登場して、うまく関連づけられていたのも分かりやすかった。
"……そうか。意識が闇の底から引き上げられていく途中、唐突に気付いた。自らの存在価値は、それを探す道程そのものにあったのだ。" ——『殺し屋の営業術』239ページ 鳥井の台詞
この一文は、学びと言うと少し軽いが、読んでいて素直に入ってきた。存在価値は見つけた答えそのものではなく、探している途中にある。
鳥井にとって、営業の数字も契約も達成感も、たぶん「自分が人間である」という証明書のようなものだ。数字が出ているあいだは、自分が人として存在していると思える。だから数字が止まった瞬間、足元が怪しくなる。そういう人間の口から「存在価値は探している途中にある」と出るから余計に重い。探している途中にいる、と自分で言えたその瞬間、鳥井は初めて証明書がなくても立てる場所を掴んだのかもしれない。
設定の特殊さと展開の速さで押し切られた
面白かったし、設定も好きだった。ただ、鳥井の不思議さを幼少期まで遡って説明する必要があったかというと、そこはまだ引っかかっている。いま目の前にいる鳥井の空虚さだけでも十分に読めたし、何より、この小説は存在価値は探している途中にあると鳥井自身が気づく話だったはずだ。それなのに作者の側が幼少期で「だから彼はこうなった」という答えを先に置いてしまうと、鳥井の「探している途中」が少し崩れる。中身の無さを抱えたまま走っていく人間の話として読みたかったので、背景が説明されるたびに「そこは知りたくなかった」という気持ちが残った。
それでも、この本は営業という軸を最後まで外さない。殺し屋小説でありながら仕事小説として読めるし、頭脳戦のエンタメとしても面白い。私が好きな、深いメッセージを受け取るタイプの本ではなかったが、設定の特殊さと展開の速さで最後まで押し切られた。
『PRIZE―プライズ―』感想と軽いあらすじ も、欲の強さで話を押し切る小説だったが、『殺し屋の営業術』はもっと軽業みたいに読ませる。その軽さの奥に鳥井の空っぽさが見えるから、ただのアイデア小説で終わらない。面白い作品だ。



