透明な夜の香り

透明な夜の香り

千早茜 / 集英社 / 2021-04-05

あらすじ

元書店員の若宮一香が、古い洋館で家事手伝いのアルバイトを始める。そこに住む調香師・小川朔は、並外れた嗅覚を持ち、依頼人のために香りをつくる仕事をしている。

洋館には、誰にも言えない秘密を抱えた客が次々と訪れる。朔は彼らの匂いを嗅ぎ、香りをつくることで、その奥底にある何かと向き合っていく。

「香り」を題材にした小説の難しさ

香りは、言語化が最も難しい感覚のひとつだ。視覚や聴覚と違い、形がない。記憶と強く結びついているが、その記憶は人によって全く異なる。

千早茜はその難しさに正面から向き合っている。朔が調合する香りの描写は、具体的な素材の名前と、それが呼び起こす空気感を重ねることで、読んでいるこちらにも何かが漂ってくるような感覚を作る。これは技術だと思った。

章ごとの独立感がある構造

物語は長編として進みつつ、章ごとに異なる依頼人が現れ、朔と一香がその人物の内側に近づいていく構成になっている。ドラマ化しても面白いだろう。

章ごとに独立した読み心地がありながら、朔と一香の関係性が少しずつ積み重なっていく。その積み重なり方が、声高でなく静かなのがいい。何かが変わった、とはっきり書かれないまま、変わっている。

朔という人物について

朔は、能力が高く、感情の表出が薄い人物として描かれている。

ただ、そこに冷淡さはない。香りを通して他者の秘密や痛みに触れる仕事をしながら、それに飲み込まれない距離感を持っている。この人物の輪郭が、物語全体の温度をうまく調整している。

一香との関係は、恋愛とも友情とも言い切れない場所にある。その曖昧さが心地よく、最後まで明確な答えが出ないことも、この物語らしいと思う。

読後感

重たい話題が扱われる章もある。秘密を抱えた人間が香りによって何かを手放す、あるいは手放せないでいる。そのどちらも丁寧に書かれていて、読後感は重くならない。

「香りは記憶だ」という感覚を、この本を読んだ後は少し強く持つようになった。街で何かの匂いを嗅いだとき、朔ならこれをどう言語化するだろう、と少し考える。そういう余韻の残り方が好きだ。

まとめ

千早茜の文章は、官能的な要素を扱いながら品がある。そのバランスが、この題材と合っていた。

章ごとの区切りが明確なので、隙間時間に少しずつ読み進めやすい。一方で、各章の依頼人たちのドラマが濃いため、一気読みしてしまう章もある。読み方を選ばない本だと思う。

香りの描写や、人の秘密に静かに触れていく物語が好きな人には特に合う一冊。

「赤い月の香り」という続編も出ており、こちらも面白いので別途まとめる予定だ。