方舟

方舟

夕木春央 / 講談社 / 2022-09-07

あらすじ

大学時代の友人たちと山奥の地下建築を訪れた柊一は、偶然出会った家族連れとともにその場で一夜を過ごすことになる。

ところが地震で出入口が塞がれ、地下建築には水が流入し始める。このままではいずれ全員が死ぬ。さらにその状況で殺人まで起きてしまう。誰か一人を犠牲にすれば残りは脱出できる。ならば、その役は犯人であるべきだ。タイムリミットつきの極限状況で、犯人探しが始まる。

仕掛けよりもまず設定が強い

この小説は、設定がうまい。

地下建築、閉じ込め、浸水、タイムリミット、そして殺人。要素だけ見ると相当盛っているのに、不思議とやりすぎには見えない。むしろ「この状況でどうやって犯人を見つけるのか」という一点に意識が集中する。

閉鎖空間ミステリーとしての吸引力が強く、細かい違和感を考えるより先に読み進めてしまうタイプの本だ。だからこそ、後半で効いてくるものが大きい。

読みながらずっと感じる嫌な圧

『方舟』を読んでいて印象的だったのは、犯人探しの面白さ以上に、状況全体の嫌な圧だった。

助かるためには誰かを切らなければならない。その前提が最初からあるので、人物同士の会話や判断に常に濁りが混ざる。正義感で犯人を捜しているように見えて、実際には生き残るための理屈でもある。その曖昧さがとても怖い。

ミステリーとしての謎解きだけでなく、人が追い詰められたときにどういう顔をするかまで含めて読ませるのがうまい。だから読後の後味も単純な爽快感では終わらない。

終盤の破壊力はあるが、納得はしきれなかった

この本は、できるだけ何も知らずに読むのが一番いい。そこは間違いない。

面白かったのは確かだが、自分の場合は「うまい」と「好きではない」がはっきり分かれた。

自分はその破壊力をそのまま高く評価する気にはなれなかった。途中まで抱いていた理解のしかたを最後のところで壊してくる、という仕掛けにはとても驚いた。でも読み終えたあとに振り返ると、「本当にそこまで用意周到に動ける人物だったのか」という違和感のほうが残った。

どんな人に向くか

閉鎖空間ミステリーが好きな人、どんでん返しのある本格ものを読みたい人、読後に「やられた」と思いたい人には向いている。

逆に、人物造形の一貫性や行動原理の納得感を重視する人には、引っかかる可能性が高い。この小説の魅力は、人物への共感よりも仕掛けの強さに寄っている。

まとめ

夕木春央『方舟』は、設定の強さと終盤の仕掛けで強く読ませるミステリーだった。

読みやすく、先が気になり、最後に大きく壊してくる。その力があるから話題になった理由もわかる。ただ、自分はその真相にあまり乗れなかった。驚きはあるが、人物の変化ではなく人格の断絶に見えてしまったからだ。

ネタバレあり解説

※ここから先はネタバレありです。未読ならここで止めたほうがいいです。

まず登場人物は大学サークル時代の仲間6人+柊一の従兄弟+同じく迷い込んだ家族連れ3人の計10人。

地下建築で宿を取り一夜を過ごしたものの、偶然発生した地震により閉じ込められることになる。出るためには、1人を残して行かないといけない。

そんな中最初の殺人が発生。唯一この場所を事前に知っていたサークルメンバが殺される。この時点でほぼ完全犯罪は成立。(出入り口の防犯カメラの映像を入れ替えていたため、その違和感に気づける可能性があるのはこの者のみ)

そこから立て続けに2件の殺人が発生。どれも真相に近づく可能性があったため消されたが、そこから状況証拠を柊一の従兄弟である翔太郎が推理して犯人を追い詰めていく。結果的に翔太郎は本当に滑稽なキャラとなってしまった。

そして犯人が判明。つまり最後に誰が残るかも自動的に決定。一同安堵。 ようやく外に出れるとなった時に柊一に犯人から通話あり。そこで全ての真相を明かされる。

翔太郎は犯行動機の推理を間違えていること、一番最初に防犯カメラの映像を入れ替えていたこと、自分が生き残るためにはどうすべきだったか、そして最後の選別まで。絶望で終わる犯人以外の生存者(これから死ぬ人)たち。

以上がこの本の流れになるが、自分がいちばん引っかかったのは、真相を知ったあとに逆算して見えてくる犯人の行動の早さだった。 地震が起きた瞬間から、すでに「この状況を利用して全体をどう動かすか」という発想に入っていたように見える。でも、作中で読者が受け取る人物像は、もっと受動的で、恋愛に疲れ、安定のほうへ気持ちが傾いている人物に近い。

もちろん、極限状況が人を変えること自体はあると思う。ただ、この小説では「追い詰められて変わった」というより、「最初から完全犯罪を遂行できる人間だった」と読めてしまう。その飛躍が自分には大きかった。

だから、真相を知ったときの感想も「うまい」より先に「そんなにすぐ頭がそこへ切り替わるのか」が来た。どんでん返しとしては派手だが、人物の積み重ねから自然に出た結末というより、結末に合わせて人物像が再編されたように感じた。

また、他の登場人物の描写にも違和感が残る。あれだけ殺人が起きているのに、集まろうともせず次の殺人が起きないようにするための仕掛けを打たずにいたことは怠慢なのか、それとも極限状況が招いた不幸なのか。

このあたりを気にしないなら強い一冊だと思うし、仕掛け重視で読む人にはよく刺さるはずだ。でも、自分はミステリーでも人物の連続性を細かく見てしまうので、そこが最後まで乗り切れなかった。