
52ヘルツのクジラたち
あらすじ
貴瑚は、都会での壮絶な生活を経て、大分の海辺の町に一人で引っ越してくる。そこで出会うのが、「ムシ」と呼ばれ、声を上げられない境遇に置かれている少年だ。貴瑚自身もまた、かつて声を上げられなかった側の人間で、物語は二人の現在と過去を行き来しながら進んでいく。
題名にある52ヘルツのクジラは、普通のクジラが10〜39ヘルツで鳴くのに対し、あまりに高い周波数で鳴くために仲間にその声が届かない、世界で一番孤独なクジラのことだという。この小説では、その届かない声のイメージが、貴瑚や少年の生き方と静かに重なっていく。
読みながら映像が浮かんでくる
大分の海辺の場面に入ると、まず空気が変わる。海、堤防、家々の距離、にぎやかではない静けさ。ページを読んでいるのに、潮の匂いまで少し届くような感覚があった。
とくに、堤防や道や家の置かれ方が、目の前に映像として立ち上がる。「定規で線を引いたような」と作中で形容される堤防が現れる一方で、その輪郭のある風景には、そこに染みついた孤独やためらいまで同じ画面に入ってくる。2024年に映画化された作品でもあるが、先に小説を読むと、映像の元になった静けさそのものが文章の中ですでに動いているとわかる。
貴瑚が抱えてきたものの重さ
貴瑚の過去は、つらい出来事が並ぶというより、人生そのものを少しずつ削られていく感じで迫ってくる。実母からの虐待、そして義父のALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の介護。家族に当然のように搾り取られる時間。その一つ一つの絶望が派手に叫ばれないぶん、読んでいるあいだに体の内側へたまっていった。
貴瑚がそこから抜け出せたのは、アンさんに出会えたからだった。ただ、この小説が見ているのは不幸の見本市ではない。そこを通り抜けた人が、傷のままどう生き直すのかに焦点がある。その向き方だったから、貴瑚の場面を読む時間が単なる悲惨さの確認で終わらなかった。
アンさんの声を聞けなかった、という悔い
アンさんは、貴瑚の聞こえない悲鳴を聞き、その世界から救い出してくれた人だ。アンさんは貴瑚にとって単なる恩人ではなく、「魂の番(つがい)」と呼べる存在だった。それは、恋愛や血縁を超えた、互いの魂の孤独を埋め合わせる唯一無二の結びつきを指している。
"第二の人生では、キナコは魂の番と出会うよ。愛を注ぎ注がれるような、たったひとりの魂の番のようなひとときっと出会える。キナコはしあわせになれる。" ——『52ヘルツのクジラたち』41ページより
けれど、貴瑚はアンさんの声を聞くことができなかった。その事実がわかったとき、52ヘルツのクジラの構造がひっくり返る。貴瑚がアンさんの悲鳴に気づけなかったのは、彼女自身が新名主税によるDVと支配の渦中におり、自分の「声」を上げることで精一杯だったからでもある。
救ってくれたはずのアンさんを、逆に自分が追い詰めてしまったのではないかという痛切な罪悪感が、彼女を少年の救済へと突き動かす原動力になっている。 この部分に触れると、誰かの痛みに気づけなかった記憶までこちらに引っぱられてきた。
登場人物がそれぞれ物語を持っている
この小説が一人の物語だけで閉じないのは、周囲の人物にもそれぞれ生きてきた時間があるからだと思う。美晴は親友としてただ寄り添うだけではなく、言うべき場面ではっきり言う。その動きがあるおかげで、物語が沈み込んだまま停滞しない。
村中やその祖母サチゑの存在は、当初は貴瑚を「都会から来た風俗嬢」と噂する田舎特有の閉鎖的な空気を、少しずつ温かな「居場所」へと変えていく。 彼らが少年の境遇を知り、共に戦う姿勢を見せることで、孤独なクジラたちの周囲に新たな「群れ」が形成されていく希望が描かれていた。 大きな台詞で場面を支配するわけではないが、こういう人がいるだけで、貴瑚が立つ場所の温度が少し変わる。主人公の外側にも生活があると感じられるから、世界が急に厚くなった。
もらう側から、与える側へ
"ひとというのは最初こそ貰う側やけんど、いずれは与える側にならないかん。いつまでも貰ってばかりじゃいかんのよ。" ——『52ヘルツのクジラたち』225ページより
"わたしは、あんたの呼び名をずっと考えてたんだ。だってムシなんて呼べないもん。……あんたがわたしの本当の自分の名前を教えてくれるまで『52』って、呼んでもいい?" ——『52ヘルツのクジラたち』70ページより
この言葉が、読み終えるころに別の重さで返ってきた。貴瑚はアンさんからもらった側の人だった。けれど少年と出会うことで、今度は自分が誰かに差し出す側へ少しずつ動いていく。
ただ、それは一方的な救済ではない。貴瑚もまた、少年との関係によって変えられ、生かされている。52ヘルツのクジラ同士が互いの声を聴き合うように、片方だけが支えるのではなく、両方が少しずつ相手に届いていく。その手つきが見えたとき、この本を簡単に救いの話とだけ呼びたくなくなった。
声を聴こうとする人たちの話
『52ヘルツのクジラたち』は、泣ける小説として紹介されることが多いけれど、それだけでは足りない。声を上げられない人の声を聴くとはどういうことかを、物語全体で手渡してくる一冊だった。解説もショートストーリーも含めて、本全体に誰かへ手を伸ばす気配が満ちている。
同じ本屋大賞受賞作なら、『流浪の月』感想と軽いあらすじ は名前のない関係を描く小説だった。あちらに対して、こちらは声の届かなさと、それでも聴こうとする人たちの話として並べて読みたくなる。



