アヒルと鴨のコインロッカー

アヒルと鴨のコインロッカー

伊坂幸太郎 / 東京創元社 / 2003-11-28

あらすじ

仙台のアパートに引っ越してきた大学生の椎名は、隣人の青年・河崎から「一緒に本屋を襲わないか」と持ちかけられる。狙うのは広辞苑たった一冊。

その奇妙な誘いに巻き込まれていくうち、椎名の現在の出来事と、少し前に起きていた別の物語が交差していく。変な話だと思いながら読み始めたのに、最後のページを閉じた瞬間、少し前とは違うものが見えている。

広辞苑、一冊。それで本屋を襲う。

「一緒に本屋を襲わないか」という誘いの、その目的が広辞苑一冊というのがまずおかしい。

でも伊坂幸太郎は、その変さを笑いで消化させず、変なまま物語の中に置き続ける。読み進めるうちに、最初は浮いて見えた会話や行動が少しずつ別の意味を持ち始める。わからないまま引っ張られて、気づいたら最後まで来ている。

読み終えると、広辞苑一冊にそれだけの重さがあったのかと思う。変な話だと思っていたものが、静かに泣きたい話だったとわかる。

二つの時間が交差する構成

現在の椎名のパートと、別の時間の出来事が並行して語られる。読んでいるうちに少しずつズレに気づき、そのズレがつながった瞬間、物語の見え方が静かに変わる。

驚かせるための構成というより、ページを遡って確かめたくなる瞬間が終盤に何度かある。そういうタイプの小説だった。

河崎という人物がつかめない

椎名の目には、河崎もドルジもどこかつかみきれない人物として映る。何を考えているのか全部は見えないのに、会話のリズムだけは妙に軽い。そのちぐはぐさが最後まで続く。

広辞苑を奪うという妙な目的、仙台の街の距離感、そして作中で何度も流れるボブ・ディランの楽曲が、ただの飾りで終わらない。読み進めるほど、それぞれが人物の見え方そのものに関わってくる。

河崎の危うさが格好よく見える瞬間と、無茶をしているだけに見える瞬間がすぐ隣にある。後年の作品よりむき出しな感触があった。

読み終えてから、タイトルの意味が変わった

"The answer, my friend, is blowin' in the wind" ——Bob Dylan, "Blowin' in the Wind"

『アヒルと鴨のコインロッカー』という題名は、最初に見たときから少し変だ。でも読み終えると、その違和感ごと物語のトーンそのものだったとわかる。軽くて変なのに、どこか寂しい。

コインロッカーに何かを「閉じ込める」という行為が、物語の中で持つ意味を知ったあとは、タイトルを見る目が変わる。風に吹かれていくものと、閉じ込められるもの。その両方が、この小説には入っていた。

善悪では割り切れない感触が残る

登場人物を善悪では分けられない、という感覚が残った。

読んでいる最中は展開の面白さに引っ張られる。でも読後に思い返すと、人物への見方が少しずつ変わっていくタイプの小説だったとわかる。奇抜な設定の裏に、そういう静かな変化が積まれていた。

すぐ誰かに勧めたくなるより、一度自分の中で噛みしめたくなる一冊だった。

どんな人に向くか

構成の仕掛けが先に読めてしまうより、何も知らずに入ったほうがずっといい。映画化もされているが、まず小説で読むことをすすめたい。

まとめ

伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』は、奇妙な導入、軽妙な会話、そして静かに残る切なさが重なった小説だった。

読んでいる最中と読み終えた後で、見えているものが違う。そういう作品だった。